堀江 俊行

  日常生活の中で,これまで<偶然>を感じたことがないという人は少ないのではないだろうか。思いがけないことが起きること,たまたまそうあること,などと理解される現象であり,起こる場面も程度もさまざまであるが,ここではそれが生起する構造に言及することで導入とすることを試みる。

 “庭を掘ったら宝が出てきた”という場合,庭という世界と,それに対する何らかの関心(思い込みや無意識なども含めて)を伴った働きかけとがあり,さらにそれを覆す驚くような結果(宝)が生じることで偶然が現象する。意識のみでは起こりえず,また物の側にもない,偶然とは<内>(心,意識,主観)と<外>(物,世界,客観)の交差/中間において生じ,それぞれに作用する出来事であることが了解される。またその生起には,“関心を伴った働きかけ”からも明らかなように,多分に見る者の態度・対象との距離・見方が影響する。関心の強さはそのまま距離の近さを意味するものではなく,外側から記述するように対象を把握する態度により,出来事はその記述に絡めとられ/押し込まれ/偽造・捏造され,ますます固定化され内と外は平行し,偶然は生じ得ない(そこにある/もとからある偶然をすくいとることができない)。偶然は,対象を内側から見る者・対象に参加する者において生起/顕現するのではないだろうか。対象とそれを内側から見る者の交差・改編,程度の差はあるが,偶然の内実とは外部の内面化・内部の外面化であり,それは認識/意味の引き剥がしと再構成を伴う生成的動性を持った事態なのではないだろうか。

 作品の中で,そのような偶然を生起することはできないだろうか。この展示では,身体を通した具体的な行為と,その行為における微少な差異の提示という契機により(すでにある作品を見るのでも,見ることにより作品を解釈するのでもない中間に)視点を定位し,偶然の現出にアプローチする。

作品

ずれ木魚 (2010)

意味付与作用/対象化作用そのものをとらえる試みとして,身体運動におけるずれを増幅し,それを知覚化する楽器を製作した。木魚をもとにしたこの楽器は,一定速度で叩かれた木魚の各打タイミングの差(ずれ)をコンピュータを用いて増幅し,その伸張または収縮されたタイミングでリアルタイムに発音を行う。使用者は,自らの一定速度の打動作の中に繰り返しのない複雑なリズムが含まれていることに直面し,と同時に打動作自体も影響を受け,(対象化作用の移り変わりとしての)リズムまたは(その事後的結果としての)リズムパターンの生成/発見作用を促されることになる。身体感覚を通した意識/対象化作用の契機とその連続/遷移を意図した。

 

そのままで◯ (2012)

◯(まる)を描く行為において,想定された円からのずれを音と映像により提示するインターフェースを作製した。切り出された◯は,そこで増幅され,覆われていたその思いがけないありようを行為者に迫り,行為者は,自らの◯から,内の中に外を見,出会い,溶け,再構成される。そのような介入・構成の現在を,各自の行為を通してその場に現出するフレームワークを制作した。

経歴

1978年生まれ。これまでに音をエフェクトにするミキサー、身体的ランダマイズを体感するリズムシーケンサー、ずれ木魚、そのままで◯など、存在論を指向するフレームワークとしての楽器を制作。認識⇄存在、偶然の必然・必然の偶然、もとからある介入・介在、日常の様相、原生リズムなど。第5回AACサウンドパフォーマンス道場優秀賞受賞。http://genseirhythm.info